あさま山荘1972

題名には『あさま山荘』とあるが、著者の坂口弘氏の自伝的な要素もあり、革命左派時代の話も多い。


私は興味を持ったのはいわゆる『山岳ベース事件』で、仲間内で殺人にまでいたってしまった理由の一端でも知ることができたら、とこの本を読み始めた。
しかし、結局は疑問だけが残ったというのが正直なところ。
文章の意味としては分かるんだけれども、どうにも納得ができない、腑に落ちない。
が、私の思ったところを少し書いてみる。


グループーのリーダーにあたる立場の森氏があまりにも極端な考えを持っていて、その世界の中だけで生きているという感じを受けた。しかし、同じメンバーでももう少し軽い気持ちで参加している人も当然いるわけで、そういう人に対しても革命戦士になる事を求めることの酷さ。
さらに、革命戦士になる、というのはどうも客観的な基準があるのではなくて、あくまで森氏の考えに合わないと駄目だということ。
森氏の考えに合わないと総括対象となり、しかも総括方法が話し合って考えを深めるとかいうものではなく、暴力で行われること。(殴られて気絶して目が覚めると革命戦士になっているという理解しがたい精神論、殴られて気絶しないのは総括できていないという決めつけ、総括対象者を手加減して殴ったりすると手加減した人も真剣に総括していないと決めつけられるのでエスカレートする…etc)
読んでいて、あまりの救いのなさに(総括対象になったら最後、助からないのが目に見えているので)暗澹たる気分になった。
しかも統括対象になる理由が、たんなるあげつらいのレベルと思うものも多い…。この本を読むまでは漠然と、死んでしまうほどの暴力をうけるには、(どんな理由があるにせよ暴力は駄目だと思うが)相応の理由があるのかと思っていたのだが…。
これだけ大それた事件を起こしたにもかかわらず、連合赤軍がどれほどの理想を抱いて社会を変えたいと思っていたのかもよくわからなかった。単に反権力という事だけが目的になっているとも感じた。


最後に身もふたもない感想。
ろくに会社で働いたこともない人が、労働運動とか社会を変えるとか何なの?反戦と言っておいて暴力肯定するし。
プチブルなんて批判したり、両親が共に労働者だからって持ち上げたり、平等を謳う人が偏見にみちてる。
両親が共に労働者と言っても私立の薬学部なんて私から見りゃじゅーぶんブルジョワ。
というか当時大学行く人自体今より少ないわけで、恵まれてるのに何が気に入らないんだろ。
結婚するにも別れるにも革命のためって、結婚したいからする、別れたいから別れるんでしょ。何気取ってるんだ。

あさま山荘1972〈上〉

あさま山荘1972〈上〉


あさま山荘1972〈下〉

あさま山荘1972〈下〉


続 あさま山荘1972

続 あさま山荘1972